世界をひとり飲み歩く。

大企業OL×フリー英会話講師。月1旅行を謳歌しつつ、家庭不和で辛い思春期を送った高校生の自分に向けたブログを書いています。

南米でアヤワスカを通したトラウマ治療をした話②ー私を癒した幻覚体験レポート

4年半勤めた大手企業を辞めて、世界一周を始めた私が真っ先に向かったのは、メキシコのカンクンでした。

 

もともと「アヤワスカ」のことは知っていたのですが、「何やら幻覚体験で非日常を味わて楽しそう」くらいに考えていました。

 

しかし、会社を辞めていざ、どこから旅を始めようか、と思った矢先に、LINEニュースでこんな記事が流れてきました。

現代社会に疲れた人たちに、メキシコの幻覚体験リトリートが人気」

 

まさに現代社会に疲れ切っていた私は、「これは何かの導きだ!」と想い、メキシコへのフライトとアヤワスカリトリート体験を予約しました。

 

アヤワスカとは、アマゾンジャングルに伝わる伝統的な薬のこと。

強い幻覚作用や自浄作用があり、古くから宗教儀式や、鬱病、依存症などの治療に使用されてきた、プラントベースの薬です。

アヤワスカの説明や、リトリートの申し込み方などはこちらの記事にまとめているので、合わせて読んでみてください。

南米でアヤワスカを通したトラウマ治療をした話①_体験の流れや注意点 - 世界をひとり飲み歩く。

 

▪️私の意図と、解消したかったトラウマ

私の意図は « Self love and self confidence »(セルフラブと自信)でした。

 

私の家は両親仲が悪く、中学生の時は、家に帰れず病気の母とホテルを転々としたり、目の前で母が自殺未遂をしたり、親戚の家に預けられたりと、不安定な家庭環境で思春期を過ごしました。

 

また、16歳の時に大好きな母が病気で他界しており、母を助けられなかったばかりか心配や迷惑ばかりかけていたことにずっと罪悪感を抱いていました。

毎日のように母親が夢に出てきて、目が覚めて「ママの面倒をみないと!」と焦っては、もう10年も前に他界していることに気づく、という生活をしていました。

 

その影響で、中学の時から精神的にかなり不安定になることがあり、孤独を過剰に恐れて人の顔色を伺ったり、感情のコントロールができなくなったり、自分や他人を過度に責めたりすることがありました。

 

これらの問題を解決するために、アヤワスカという手段を選びました。

 

▪️アヤワスカ体験 Day1 セルフラブの習得

夕方6時頃、施設の庭の一角にある場所で、シャーマンが祈りと大地への感謝を捧げ、試験官のような容器に入った赤黒い液体「アヤワスカ」を参加者全員で回し飲みしました。

 

薬を飲む時には、"accept with love" (愛とともに受け入れます)と唱えて、自分の意図を頭の中で繰り返しながら一気に飲み干しました。

 

アヤワスカを飲んだ集会所

 

その後、各自自分の部屋のベッドに移動し、1時間ほど、薬の効果が現れるのを待ちました。

アヤワスカセレモニー当日は絶食する必要があるため、お腹がぺこぺこだった私は、のんきに「たこ焼き食べたいな、餃子も食べたい」なんて考えながらゴロゴロしていました。

 

すると、突如お腹が内側から擦られているかのような感覚が走り、頭のてっぺんまでアヤワスカの木が焦げたような匂いがこみあげてきました。

私はベッドの横に置いてあった大きなバケツにアヤワスカを吐き戻し、一気に身体が消えて暗い宇宙に投げ出されたかのような感覚に陥りました。

 

こうして私の人生初のトリップが始まりました。

 

最初は、黒や白の世界の中でカラフルな地平線や山並み、宇宙のような空間が見えました。

小さな街で急速に季節が移り変わっていくような美しい光景も見えました。

たくさんの虫が蠢いているのも見え、「感情がないもの(人)との交流が怖い」という感情を抱きました。

 

ひとしきりそんな幻覚が落ち着いたころ、自分の胸のあたりが暖かくなり、自分の中に母の存在を感じました。

自分の右手が自然と持ち上がり、自分の頭をなでながら、繰り返し「えらいね、えらいね」という言葉が口から出てきました。

 

「ママが病気で一緒にいてあげられなくて、寂しかったよね。大変だったよね。えらいね。あなたもお姉ちゃんもパパも、えらいね」と、母の言葉が脳に直接語りかけられました。

 

そして、自分への強い愛情も感じました。

母が自分に対して感じていた、無償の強い愛情を、自分の感情として感じました。

 

身体がなくなってしまったから、生きている時と同じようには交流できないけど、確かに自分のなかに母がいる、と感じました。

母の腕が自分の肩から頭にかけてを抱きしめてくれているのを感じました。

母の身体が自分の身体と重なって、子どものまま止まっていた自分が初めて大人になるのを感じました。

 

そして、また幻覚を見ました。

川の流れに手を添えると、川が母の髪、山が母の顔になっていました。

「身体がなくなってしまったけど、自分のなかや自然のなかにママはいたんだね」と、自然と思うことができました。

 

それでもやっぱり、死んでほしくなかった。身体がある状態で、一緒にいてほしかった。

何もしてくれなくていいから、一緒にいて、抱きしめたり頭をなでてくれるだけでよかった。

そんな想いが溢れ、声を上げてたくさん泣きました。たくさん悲しんで、ひとつの気づきに至りました。

 

みんな、寂しいんだ。

何か見返りを求めて一緒にいる訳じゃない。ただそこにいて、愛情を受け取ってくれる存在がほしいだけなんだ。

ペットを飼っている人も同じ。ただ愛情を注いで、愛情を受け取ってくれる存在がほしいだけ。

 

いつも私に優しくしてくれる先輩や友人、アメリカのホストファミリーの顔が浮かびました。

ああ、私にいい子でいてほしいとか、何か見返りがほしいとか、そんなんじゃなかったんだ。

ただ、私の魂が綺麗で、愛情を注ぎたいと思うから、注いでくれているだけなんだ。

私はただ、その愛情を受け取って、一緒に楽しい時間を共有するだけで、相手の心を満たしているんだ。

 

目を開けて自分の手を見つめると、肌がとても滑らかに見えて、「なんて綺麗で可愛いんだろう」と思いました。

「こんなに可愛いんだから、愛情を注ぎたくなるのは当然だよね」

 

そしてこの可愛い身体は、母が毎日おいしい食事を作って大切に大切に育ててくれたもの。

母が作るおいしい炊き込みご飯、ドリア、魚の煮付け、野菜炒め、にんじんケーキ・・・。

 

私はいつも、もっと母に愛情を注いであげたかった、と後悔していました。

でも、今なら私のなかに母がいるのを知っている。

 

今まで私はあまり自分のことを大切に扱ってきませんでした。

食事は安いものでテキトーに済ませたり、お酒やたばこでストレスを紛らわせたり、一時的に手に入る承認や愛情を求めていろんな人と関わったり。

でも、これからは自分で自分においしいご飯を作ってあげて、大切にしてくれる人たちと時間を過ごして、綺麗なものをたくさん見て、楽しい経験をたくさんして、自分と大好きな母にたくさん愛情を注いであげよう、と決心しました。

 

そして、自分への愛情に満たされながら、その日は眠りにつきました。

 

 

▪️アヤワスカ体験 Day2

幼少期の再体験と記憶の再構築

 

翌日は、昼からセレモニーが始まりました。

スタッフのシャーマンによると、初日のアヤワスカは、身体を自然に近づけるための準備をするもの。2日目のアヤワスカが本番とのこと。

そのため、初日よりも薬の濃度が濃く、吐きそうなひどい味でした。

 

初日と同じようにベッドに戻って目を閉じますが、1日目のような幻覚はあまり見えません。

身体の感覚が敏感になって、顔や手が勝手に変な動きをして、すこし不快な気分が続きました。

 

そして突然、口から大きな声がでました。自分の声でないような、自然と出てくる声。

悲しくないのに、まるで呼吸をするためかのように、「ウァァアアアアアア、エヘッエヘッえああああああん」と、赤ん坊のように大声で泣きました。

 

後から気付きましたが、この日私は、生まれた時から幼少期までの人生を再体験する旅にでていました。

 

しばらくして泣き声が止むと、幼少期の記憶がたくさん出てきました。

大好きだった、メリーポピンズやハリーポッターやハイスクールミュージカルや、鏡の国のアリス、少女漫画などの物語。

綺麗な実家の食卓で、にこにこしながら「今日は何が食べたい?」と優しく聞いてくる母。

子どもの私は、にこにこしながら答えました。「あのね、あたしね、この時間が大好きだったの。好きなものの本やDVDをいつも買ってもらえて、嬉しかったの。学校の帰りにお花を摘んで帰ると、ママが喜んで花瓶に飾ってくれるのが、嬉しかったの。」

 

また、父からの愛情も感じることができました。

私は幼少の頃から父が躁鬱病で(発覚したのは最近ですが)、夫婦喧嘩が警察沙汰に発展して家に帰れない、なんてことも多々ありました。父から暴力的な言葉を吐かれたことも多々あり、父は家族を虐待することしか頭にないDV男だと信じていました。

 

でも、お金をかけてあげることが、彼にとっての愛情表現だったんだ、と気づきました。

感覚が敏感になっているなか、舌が自分の歯をなぞり、「なんで綺麗な歯並びなんだろう。パパは渋々ながら歯科矯正をさせれくれた。小さい頃から習い事もさせてくれた。それがパパにとっての愛情表現だったんだ」と、彼の愛情を自分の感情として感じることができました。

 

私はそれまで、何の事情も知らない他人の言う「でもお父さんなんだから、あなたのことを愛してるのよ」という言葉が大嫌いでした。今でも、「全ての親は子どもを愛している」なんて綺麗事は絶対に言いません。

それでも、この時、精神病持ちで不器用な父の私に対する愛情を、初めて、自分の感情として理解したのです。

 

そのあと、夫婦喧嘩をしている母に話しかけました。

「ママ、どうしてそんなにパパに期待するの?全部を求めるから苦しいんだよ。パパにも優しいところ、あったよ。」

「私も同じだね。この人はこういう人なんだ、って、あきらめて、受け入れることが愛情なんだね。」

 

私は頭のなかで、家族みんなに話しかけました。

「パパ、ママ、お姉ちゃん、みんなそれぞれの方法で愛そうと頑張ったんだね。えらいね。」

 

今まで私は、母との死別という強烈なトラウマ体験で、自分の幼少期は全て不幸なものだったと錯覚していました。

しかし、この日、赤ん坊の頃から小学生の頃までを再体験し、家族の感情を自分のものとして体験することで、過去への認知を塗り替えることが出来ました。

 

そしてその日は眠りにつきました。

夜に目が覚めて、ベジタリアンのご飯をみんなで食べて、自分の身体を抱きしめながらまた眠りました。

シャーマン兼スタッフさんが作ってくれた夕食

 

▪️アヤワスカ体験 Day3

自分の全存在の肯定

 

3日目は、マジックマッシュルームと、「テマスカル」というスピリチュアルなバージョンのサウナをしました。

 

マジックマッシュルームを飲むと身体が重くなり、ただベッドに横たわりながら日の光を感じていました。いくつかキラキラとした幻覚も見たように思います。

 

マジックマッシュルームの効果が切れると、「自分を表現したい」という気持ちが大きくなり、ベランダに出て音楽に合わせてたくさん踊りました。

自然の中でこうして自分を解放するのが好きなんだ、と幸せを噛み締めながら踊りました。

 

その日の夜はテマスカルの儀式(サウナ)を行いました。

 

テマスカルとは、ハーブのような植物です。逆さにしたお椀のような形のサウナ房の横で、テマスカル師が石を焚き火で熱しています。

その熱した石とテマスカルをサウナ房の中に入れ、水をかけて蒸気を発生させることで、サウナ状態を作り出します。

 

奥に見えるのがテマスカルのサウナ

 

 

水着を着て、いよいよサウナ房の中に入ります。

深呼吸をしながら、テマスカル師の太鼓の音や歌に合わせて、歌を歌ったり、声を出したりします。

 

だんだんと、熱や呼吸の影響で頭が朦朧としてきます。

それでも歌に合わせて大声を出し続けます。

 

中には熱やエネルギーに耐えかねて、途中で外に出た人もいました。

 

そして、歌ったり声を出したりする中で、みんなでたくさんのものに感謝を伝えました。

母なる大地、ありがとう。聖なる水、ありがとう。家族、ご先祖様、ありがとう。存在させてくれて、ありがとうございます。

 

家族関係が悪かった私は、今までずっと「家族に感謝しなさい」という言葉が大嫌いでした。ちなみに言うと、このような宗教儀式やスピリチュアル儀式も苦手な部類でした。

 

でもこの時初めて、心の底から、父、母、姉、祖父母、伯父、叔父、全員に、感謝の言葉を叫びました。

ありがとう。私と繋がっていてくれて、ありがとう。私をこの世にいさせてくれて、ありがとう。

 

その時、やっと、自分の存在全てを受け入れることができたように感じました。

 

テマスカルは、「子宮」を模しているそうです。

子宮の中に入って、大地と繋がって、テマスカルから出るときに「生まれ変わる」。

 

テマスカルの儀式が終わると、サウナ房の中に向かって土下座の状態でテマスカルに感謝を伝え、”reborn”(生まれ変わる)と言いながら外に出ました。

 

シャワーを浴びて施設にあったプールに飛び込むと、空いっぱいの星と木々があまりにも綺麗で、まるで羊水のなかを漂っているようで、幸福で胸が満たされました。

プールで楽しく泳げるのも、両親がスイミングスクールに通わせてくれたからだ、と感謝でいっぱいになりました。

 

私はこんなにもたくさんのものを与えられている。

日々のストレスや孤独感、忙しさですっかり忘れていた。

「もう、自分に与えられているものを忘れてしまうような生活はしたくない。与えることで、与えられていると感じられる生き方をしたい」と、強く思いました。

 

私のメキシコでのアヤワスカ体験は、「セルフラブと自信がほしい」という意図を十分すぎるほどに満たしてくれました。

 

 

それでも、一度で全てが好転する訳ではありません。

この1か月後の自分の誕生日の日、家族から誕生日祝いのメッセージがもらえず、自暴自棄になってしまいました。(実際は姉はメッセージをくれていたようなのですが、手違いで受け取ることができませんでした)

 

確かにメキシコでのアヤワスカ体験で、自分の過去に対する認知や行動は変えられました。でも、現在ある孤独やストレスにどう対処すればよいのか、私にはまだ分かりませんでした。

 

そのため、私は、本場ペルーでもアヤワスカ体験をすることに決めました。

 

次のセレモニーの意図は、「これから来る孤独やストレスに対処する方法を教えて」です。

 

ペルーでの体験は、期間が2か月しか開いていなかったこともあってか、メキシコでの体験ほど強烈なものではありませんでした。

しかし、私が設定した意図に対しては、十分すぎる答えを出してくれました。

 

ペルー体験についての記事は更新次第、リンクを貼ります。